植松の「最後に一つだけ」を却下した裁判長、再評価の流れ

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Photo by Glenn Carstens-Peters on Unsplash

植松聖が死刑判決を受けた日、裁判長がとったある行動が再評価されています。その行動とは、閉廷の直前に「最後に一つだけいいですか」と持ち掛けられたのを認めなかったことです。閉廷直前に発言の割り込みを認めなかったことが、今になって多少評価されるようになりました。

裁判を通じて植松の闇を吐いてもらい社会の課題とするのが(一応)世間の願望ではありました。最後の発言を却下したことも「最後なんだから少しくらい喋らせてあげても良かったのに」と残念がる意見が当初存在しました。「植松聖」が何故出来上がったのか考察する材料を少しでも欲していたためです。

裁判長の判断が今になって評価された理由は、ひとえに「信者」への煽動を防いだ一点にあると考えられます。事件報道の当初から植松に賛同する信者は湧いており、下手をすれば「殉教者」の発言次第で「植松尊師のご意思を我々が引き継ぐのだ!」となっていたかもしれない……というロジックです。ネットでイキるのが限界の有象無象にそのような行動力などないと思われるでしょうが、たった一人でも模倣犯が出てしまえば何らかの判断ミスを責められても文句は言えません。

ところで、植松本人はあの時何を言おうとしていたのでしょうか。死刑判決から確定までの間は面会する猶予が残されており、そこで「最後に何を言いたかったのか」を聞いた人が居ました。詳しい内容は忘れましたが、彼奴が最後に言いたかったのは、大麻に関するしょうもない話だったそうです。まあそんな腹の内など分かる筈もないので、喋らせなかったのが正解であることに変わりはないのですが。

ことし7月26日は、津久井やまゆり園の殺傷事件から10年の節目となります。あれから10年たって、我々と社会はどれほど成長したのでしょうか。少なくとも、衰えてはいなかったと信じたいものです。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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