映画の中の障害者(第11回)「わたしの季節」
エンタメPhoto by Geoffrey Moffett on Unsplash
見過ごされる障害者の日常
映画「月」「市子」をはじめ障害者を社会の暗部として描いた作品が立て続けに制作されています。綺麗事ではない現実を見て見ぬふりせず描きたいようですが、肝心の障害者の日常生活がほぼ描かれていないことに大きな疑問を抱きました。それは、今回取り上げる重症心身障害児(者)施設の人々を記録した小林茂監督によるドキュメンタリー映画「わたしの季節」(2005年)と比較するとあまりに障害者に対する眼差し、人間観が異なっています。
西日本で最初の重症心身障害者(児)施設・びわこ学園
滋賀県野洲市にある重症心身障害児(者)施設の日常を3年間に渡って記録したドキュメンタリー映画。監督は『阿賀に生きる』で撮影を務めた小林茂。 約40年もの間、重症心身障害児(者)を支えてきた"第二びわこ学園"。建物の老朽化が進み、新築移転計画が持ち上がったのを機に、この映画が作られることになった。そこで暮らす入所者、その家族、職員のありのままの姿が16ミリ・カメラと同時録音で記録されていく。途中、学園設立当時の8ミリ・フィルムが挿入され、入所者たちの幼かった頃の姿が映し出される。入所者全員が、それぞれの季節を重ねてきたのだ。長年間暮らしてきたこの学園を出て、障害者が自治会を組織して生活している施設に移りたいと願う男性と、そんな息子を心配して怒る老父。人工呼吸器をつけているため眼球を動かすことで呼びかけに応える少年……そして、新築された学園に移っても、また新たな季節が重ねられていく。
毎日映画コンクール記録文化映画賞・文化庁映画大賞
(日本映画データベースより)
「せっかく人間に生まれてきたんだもの 地球のいいとこ 感じて欲しい ここびわこ園には それがあるから・・・」
(七里のり子 1999年)
初めて作品を見たのは、5年前の「ながおか映画祭」でのフィルム上映です。障害者施設のドキュメンタリーというと、あらかじめどんな映像が展開するか読めて、正直忍耐が必要になるかなと構えていました。ただ、結果的にはそんな思い込みを見事に打ち崩す、頭を殴られるような映像体験でした。
凝視するような映像の力
この映画の最大の見どころは凝視するようにフィルムで捉えられた入所者、支援員、家族の表情の数々です。それなりに障害者施設のドキュメンタリーを見てきましたが、それらとは全く異なる画作りで、どのショットも油絵のように引きつけて目を逸らさせません。ナレーションもないので、映像だけでも十分力強い作品となっています。
今は簡単にスマホでも高画質ハイビジョンで撮影可能ですが、フィルムは高価で、取り合えず撮ることができず、それゆえ監督の覚悟が映像に現れて、ただらぬ緊張感と同時にぬくもりを感じる特別な体験となります。私は懐古主義者ではなく、フィルムやレコードをやたらありがたがる風潮は苦手なのですが、貴重な文化遺産でこれからも大切にしていきたいと本作を見て思いを強めました。
映像以外でも、利用者の声を寄り添うように拾っているのですが、印象的なセリフは18歳で入所して当時43歳の女性の「もっとゆっくり聞いてほしい。いろんなことを聞いてほしい」という声です。びわこ園のHPを見ると初代学園長の岡崎英彦は「本人はどう思ってるんだろうか」という言葉を残しています。また映画終盤では、会話が難しい入所者と脳波測定器でコミュニュケーションを行えないか試行錯誤しているシーンがあるのですが、その支援員のワクワクした表情は岡崎氏の人間観が支援員につながれている様が映されています。
いのちの根源を見つめる
それにしても、同じ重度障害者の施設を描いているのに映画「月」とあまりに異なることに考えさせられます。「月」の施設シーンはほぼ夜で、障害者はほとんどホラー映画のゾンビの様な描かれ方です。一方「わたしの季節」では日の光が利用者の細かい表情までとらえて、障害者の生きる姿を「見て見ぬふりせず描く」ことに注力しています。ジャンルは違えど改めて映画は、監督が持つ人間観が作品全体の方向も決めてしまうことに映像制作者の端くれとして恐ろしさを感じます。(ショッキングな映像満載の「月」を見たら、まず障害者と関わりたくないと思うし、出生前診断で障害児認定を受けたら中絶を選択するでしょう)
友人に家族に知的障害を持つ医師がいて、映画で障害者のイメージを変えようと映画づくりに携わっています。私は映画の持つ想像力は、私たちの生活を意味づける力があり、それも作品の価値に含まれると思っています。そういう視点からも「わたしの季節」は、時代を超えて価値があり、多くの方に見てもらうことを願います。入所者の表情ひとつひとつは、私たちの人間観を変えうる力強さがあり、ラストのパレードのように入所者・支援員が練り歩く姿は、小林監督の世界への願いが映っていました。
以下、キネマ旬報に掲載された小林茂監督の映画紹介を転載します。
いのちの根源をみつめる映画
大地から芽吹くように人は生まれ、
春夏秋冬と季節がめぐるように人は生きてゆく。
生きてゆく喜びと、生きてゆく苦しみの間に、
それぞれの人生がある
この言葉とともに始まる『わたしの季節』は、人としての「存在感」と「こころの声」を拠り所に、深いところでいのちの根源を見つめた映画です。けっして障害を持つ人びとが社会の中でどう処遇されるべきか、ということを問うた映画ではありません。
重い障害をもつ人もまた、生まれ生きています。同じです。しかし、生きる困難さは同じではありません。深いところでいのちの根源を見つめています。そのことが、「存在感」を強くするのではないでしょうか。人はその「存在感」にふれると、励まされ、癒されます。自らのいのちの根源に糸を垂らすからでしょう。どんなにか多くの人びとが、この人たちから生きる勇気と自己変革のエネルギーをもらったことでしょう。
人はだれでも、「あなたはあなたであっていい」という言葉を求めています。しかし、自らに発することはむずかしい。でも、人に発した瞬間、波のように自分にはねかえってくる言葉のような気がします。「いのちの循環」と言いかえてもいい。私たちはこの循環のなかでお互いが生かされているのではないかと思います。
この映画は、「いのちの循環」が底流に横たわるような映画であってほしいと願っています。
自主上映等希望の方は、第二びわこ学園:0775 87 1144(羽生)へお問い合わせください。
※2024年3月9日「2024年・第14回大倉山ドキュメンタリー映画祭」でも上映されます
参考サイト
わたしの季節:日本映画データベース
https://jfdb.jp/title/293