畑と地域を耕す三休での何気ない日常をつくっていく。(セコラム!第21回)
『セコラム!〜伴走者の立場から障害福祉を考えてみる〜』 vol.21
前回記事の更新日は8月。半年以上更新ができなかった。それはなぜか。
文章を書きはじめるとすぐ、自問自答に苛まれていた。このコラムのタイトルは「伴走者の立場から障害福祉を考えてみる」だ。「伴走者」と銘打っているにも関わらず、障害のある人と関わる日は月のうち数日程度。
こんな状況のなか、コラムを更新していくのは違うのではないだろうかと考えれば考えるほど筆が進まなくなっていた。
さて今回書き始めようと思ったのは、障害のある人とともに過ごす日が増える予定だからだ。今年4月から障害のある人が働く拠点を京田辺に構える。一休寺のあるまちにオープンする所以からもじり、拠点の名前は「三休」。一休さんのセリフからインスパイアされた「慌てない慌てないひと休みふた休み三休み」がスローガン、その人のペースに合わせ、その人らしく働く環境をつくっていく。
僕はヘルパーとして障害のある人の生活支援に10年弱携わった。肢体不自由で言語障害のある車椅子に乗った人や知的障害があり言語的コミュニケーションが苦手な人など一つひとつの行動に意識していく必要がある人たちのサポートを行っていた。しかし今回、いくつもの思いに触れ、働く支援をすることに至った。同じ障害福祉だが、今までとは違う世界、価値観、視点…。でも、変わらず大切にしたいことは「伴走者」であること。ともに走ること。しんどいときにそっとお水を渡すこと。その思いを胸に、一人ひとりに関わっていく。
また三休は働く場所だけでなく地域との結び目も担っていきたい。障害のある人が働いている横で、近所のおじさんが新聞を読み、ママ友たちが珈琲片手に情報交換し、帰りの子どもが宿題をしている。そんな風景をつくりたい。というのも、僕が生まれ育ったのは、信号もなくお店もない、海と畑に囲まれたド田舎。自宅の斜向かいには耳の聞こえない家族が住んでいた。でも福祉サービスは一切活用せず、普通に生活をしていた。これは近所の人たちのコミュニティが強く、自然なおせっかいがあったからだと思っている。同じ学校に通っていた自閉症の双子の兄弟、認知症を患うおばあちゃん、日本語が苦手なベトナム人…みんなが普通に暮らしていた。過去に経験した、そんな原体験を呼び起こしていきたい。
3月9日、三休の日と銘打ち、入場料が野菜の音楽イベントTHANK YOU TABLEを開催した。そこには色んな人がいた。色んな人が自然に楽しみあっていた。ハレとケを繰り返していくことで、文化がつくられていくのだと可能性を感じた。
これからは毎月25日に、
畑と地域を耕す三休での日常から感じ取ったことを中心にコラムを編んでいきます。